隠れたことを見ておられる神に | マタイによる福音書 6章

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マタイによる福音書 6章

「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 マタイによる福音書 6章1節

隠れたことを見ておられる神に

主イエスは「殺してはならない」から「隣人を愛しなさい」までモーセ律法の文言を取り上げて説明された後、ギアを変えるようにして善い行いについて語られます。具体的には施し、祈り、断食が取り上げられています。

ここで主イエスが強調しておられるのは、周囲の人びとからの賞賛を得るためにそれを行ってはならないということです。繰り返し「偽善者」たちのそのようなふるまいを俎上に上げて、彼らのようであってはならないと主イエスは警告されます。

善い行いというのは、一筋縄ではいきません。損得勘定なしに、純粋に誰かのためを思ってアクションを起こしたつもりだったけれども、結果的にその人のためにならず、かえって別の問題を引き起こしてしまった、という経験はないでしょうか。

善い行いは究極的には人によるものではなく神によるものです。それは霊の結ぶ実として生じるものであって、人間の思いや計画によって作り出されるものではありません。

そこで主イエスは、周囲の人びとの評価ではなく神の評価を気にしなさいと言われます。隠れたことを見ておられる父に心を向けて、何が父の御心であるかを尋ね求めることを通してのみ、私たちは善い行いを実践することができるのです。

【祈り】

隠れたことを見ておられる神よ、私たちが霊の実を豊かに結ぶことができるように整え、導いてください。

唐見 敏徳(忠海教会)