御言葉の種をまかれる主イエス | マタイによる福音書 13章1-9,18-23節

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マタイによる福音書 13章1-9,18-23節

「良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて悟る人であり、あるものは100倍、あるものは60倍、あるものは30倍の実を結ぶのである。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 マタイによる福音書 13章23節

御言葉の種をまかれる主イエス

たとえ話は好きでしょうか。おそらく多くの人は、たとえ話が好きだと思います。分かりやすく、楽しんでその話を聞くことができるからです。

しかし、主イエスがたとえ話を語られた理由は、真に聞こうとする人びとと、そうでない人びとを分けるためのものだったのです。話を分かりやすくするためではありませんでした。反対に、はっきり語らないことによって、人びとに分からなくさせるためでもありませんでした。主イエスのたとえは、聞く気があり、心開かれている人は、たとえを通してますます豊かに持つ者とされます。そうでない人はますます真理が分からない者とされるのです。

どうしてそのような違いが生じるのでしょうか。それは、たとえ話を理解できない人びとには神がたとえを悟ることを許しておられないからだ、と主イエスは語ります。神は人びとの頑なな心さえも用いて御心を実現されるお方です。そういう意味では、たとえ話の理解には「神の主権」が深くかかわっています。

主イエスは9節で、「耳のある者は聞きなさい」と、たとえを結んでおられます。私たちは聞く耳のある者であり、心開かれた良い畑として、日々、聖書の御言葉によって養われる者とさせていただきましょう。

【祈り】

主よ、あなたが土の器のような弱い私たちに神の光輝く真理を現わしてくださいましたことを感謝します。

川栄 智章(せんげん台教会)