その時は来たそしてその途上に | イザヤ書 35章

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イザヤ書 35章

そのとき、見えない人の目が開き
聞こえない人の耳が開く。
そのとき
歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。
口の利けなかった人が喜び歌う。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 イザヤ書 35章5節~6節

その時は来たそしてその途上に

「そのとき」とは、キリストが来られた「今」です。キリストを信じる人びとは、それを知ります。洗礼者ヨハネは、主イエスに「ほかの方を待たなければなりませんか」と尋ねました。それへの答えは「目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、…耳の聞こえない人は聞こえ、…貧しい人は福音を告げ知らされている」でした(ルカ7章20~22節)。イザヤが預言した「そのとき」はそこに来ていました。

しかし、すべてが成就しているわけではありません。完全な成就は、望みの中にあります。また見えない事実を見るようにして進まなければなりません。「荒れ野よ、荒れ地よ、喜び躍れ、…人々は主の栄光と我らの神の輝きを見る」(イザ35章1、2節)。今は、神の言葉に導かれながら見えないものにこそ目を注ぐべき時です。いろいろなことに試されながらも、聖霊の恵みに謙虚に信頼して、そのように主を仰ぎます。「弱った手に力を込め、よろめく膝を強くせよ。…『神は来て、あなたたちを救われる』」(3、4節)。

なおも途上ですから、信仰の歩みには忍耐が求められます。しかし、主は慰めを満たし続けてくださいます。「喜びと楽しみが彼らを迎え、嘆きと悲しみは逃げ去る」(10節)。

【祈り】

主イエスよ、あなたと共に生きるこのときを感謝します。

貫洞 賢次(札幌伝道所)