証しするとは主イエスを指し示すこと | ヨハネによる福音書 1章6-8,19-28節

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ヨハネによる福音書 1章6-8,19-28節

彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ヨハネによる福音書 1章7節

証しするとは主イエスを指し示すこと

マティアス・グリューネヴァルト作『イーゼンハイム祭壇画』を御覧になったことはありますか。十字架上の主イエスが中心におられ、その横に洗礼者ヨハネが立っています。ヨハネは片手に聖書を持ち、もう一方の手で主イエスを指差しています。ヨハネの背後には赤い血で「あの方は栄え、わたしは衰えねばならない」(3章30節)と書かれています。

洗礼者ヨハネの使命は、自分を証しすることではなく、主イエスを証しすることです。だからヨハネは主イエスを指し示します。このお方こそ、混沌とした世において、闇に打ち勝つ唯一の光だからです。

私たちは、キリストを証ししようとするとき、立派なキリスト者であろうとしがちです。しかし、私たちの内には輝く光がなく、かえって徒労に終わることも多いでしょう。そのとき考えたいのは、私たちも、自分自身ではなく、主イエスへ心の焦点を合わせ、キリストを証しするということです。そうしてこそ、私たちは真にキリストを証しすることができ、また私たちの内にも光が輝きます。「『闇から光が輝き出よ』と命じられた神は、わたしたちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださいました」(2コリ4章6節)

【祈り】

わたしたちは主イエスへ心の焦点を合わせます。私たちも世も、あなたを見上げ、信じますように。

三川 共基(松戸小金原教会)