疲れた者重荷を負う者へ | マタイによる福音書 11章

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マタイによる福音書 11章

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 マタイによる福音書 11章28節

疲れた者重荷を負う者へ

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」という主イエスの言葉は、礼拝のはじめの「招きの言葉」でも読まれる有名な聖書箇所です。

この主の言葉で大事な点は、「わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる」(29節)と続くところです。軛とは、牛などの家畜が農作業の荷車を引くために首にかけられる木の枠のことで、おもに2頭の家畜の首に1セットで付けられるものでした。また、その軛がまだ働いたことのない若い牛に付けられるときには、先輩の牛が対になって重荷を担い、若い牛に農作業の仕事を教えたそうです。つまり、主はそのようなイメージで「わたしの軛を負い、わたしに学びなさい」と語っておられるのです。

「柔和で謙遜な」主は、私たちの傍らに来て、私たちの背負っている人生の軛を共に担い、その負い方を教えてくださいます。主イエスが共に軛を担われると聞くと、私たちはなお半分の重荷を負わなければならないと思うかもしれません。しかし、主は私たちのすべての罪の重荷を背負って、十字架に架かって死んでくださった御方です。その主イエスが、きょうもあなたの傍らで、あなたの重荷をすべて背負って「休ませてあげよう」と語りかけておられるのです。

【祈り】

主よ、あなたが共におられ、重荷を担ってくださることを感謝します。

佐野 直史(銚子栄光教会)