神の平和を求めるとは | マタイによる福音書 5章9-10節

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マタイによる福音書 5章9-10節

平和を実現する人々は、幸いである、
その人たちは神の子と呼ばれる。
義のために迫害される人々は、幸いである、
天の国はその人たちのものである。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 マタイによる福音書 5章9節~10節

神の平和を求めるとは

きょうは「建国記念の日」の「祝日」とされています。しかし私たちキリスト者は、神話に基づいて定められた日を祝うことをしません。また、私たちが祝い喜ぶのは、主なる神を礼拝する時だけだからです。そのためキリスト教会では、この日を「信教の自由を守る日」とします。

このように語れば、主が求めておられる平和とは関係のないことが議論されているように思われる方もいるかも知れません。

しかし、私たちキリスト者は、このことに関して無関心でよいのでしょうか。主なる神は、偶像崇拝を禁じておられます。そして、何も語らないことは、天皇による神の国を受け入れる偶像崇拝を行っているのと変わりません。

主なる神が求めておられる平和は、キリストの再臨と最後の審判によって実現します。その時、すべての偶像は滅ぼされ、私たちキリスト者は、主によって与えられる平和に満たされます。

そのため、今の日本に生きる私たちキリスト者は、偶像に対して、神の武具を身に着けることが求められています(エフェ6章10~18節)。私たちは、主が求めておられる御言葉に敏感に聴き従うことが求められています。

【祈り】

神様が求めておられる平和を実現する者として、私たちの信仰を強めてください。

辻 幸宏(大宮教会)