宗教改革 ― それは聖餐改革 | コリントの信徒への手紙一 11章23-34節

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コリントの信徒への手紙一 11章23-34節

だれでも、自分をよく確かめたうえで、そのパンを食べ、その杯から飲むべきです。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 コリントの信徒への手紙一 11章28節

宗教改革 ― それは聖餐改革

宗教改革の「改革」は、元の健全な状態に戻すことを意味します。「宗教」全般の改革を意味しますが、厳密に表現するならば、「教会改革」を指します。当時のローマ・カトリック教会の現状を憂い、批判し、改革を目指す大きな流れ、運動を意味します。その中で、宗教改革者が多大の関心を払ったのは「聖餐」、すなわち「主の晩餐の礼典」の改革でした。

ローマ・カトリック教会の教会活動の中心はそのミサ典礼にありました。司祭たちが民衆の理解できないラテン語の式文を朗読し、ミサを全く理解しないままで、ことあるごとにミサが執り行われました。ミサは教会の権力や維持のためにも乱用されました。本来の聖餐に戻すことこそ教会改革の眼目となったのは当然です。本来の聖餐、初代教会が守った礼典を取り戻すことこそ宗教改革が目指した「改革」でした。

私たちもまた、聖餐を単なる儀式、意味のない象徴的な儀礼として、聖餐の礼典を軽んじているならば、宗教改革の伝統を継承する教会とは言えません。また、聖餐において約束されている贖い主、生けるキリストとの現実(リアル)の臨在とその贖罪の恵みにあずかる約束を明瞭に自覚して、心を燃やして聖餐にあずかっているかどうか、吟味しなければなりません。

【祈り】

私たちの教会が、ふさわしく聖餐の礼典を守ることができますように。

金田 幸男(西谷伝道所)