万人祭司 ― その意味とその恵みと | コリントの信徒への手紙一 4章16節

RCJメディアミニストリー「ふくいんのなみ」のトップページへ戻る

コリントの信徒への手紙一 4章16節

だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 コリントの信徒への手紙一 4章16節

万人祭司 ― その意味とその恵みと

改革されるべき16世紀の教会は、教会のあらゆる営みを聖職者たちが独占していました。教会は二層に分かれていました。上の層は聖職者で、下の層が聖職者以外の信者です。いわゆる俗人(非聖職者)は、教会において、特にミサにおいて、そこに臨在されるキリストに近づくことができない、また、それは許されていないと考えられていました。神に近づけるのは祭司(聖職者)だけだとされていたのです。

宗教改革者、特にカルヴァンは、旧約聖書の信仰を取り戻すことに傾注していました。その詩編の註解を読めば分かりますが、旧約の信心深い人たちは、神殿の聖所に神が臨在してくださると確信し、祭儀を見守りました。祭司だけがその臨在にあずかる特権を享受していたのではなく、近くにいた信徒たちも同じ祝福を期待し、信じたのです。

新約に目を向けると、ルカによる福音書1章10節に記されるザカリアと民衆は、聖所で祈る祈りが特に神に聞かれるという信仰をもって神殿に集まっていたことがわかります。

私たちも公的な礼拝において(むろん家庭礼拝のような私的な礼拝においても)、神に接近し、その礼拝が受け入れられているという思いを強くしながら会堂に向かいたいと、心から願います。

【祈り】

礼拝において臨在されるあなたに、憚ることなく近づけますように。

金田 幸男(西谷伝道所)