わたしの体は誰のもの | コリントの信徒への手紙一 6章

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コリントの信徒への手紙一 6章

知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。
日本聖書協会『聖書 新共同訳』 コリントの信徒への手紙一 6章19節

わたしの体は誰のもの

「わたしには、すべてのことが許されている」(12節)。これはおそらくコリント教会のスローガンです。霊に満たされたなら何でも自由だと信じていました。しかし、彼らは自由と放縦を履き違えていたのです。

何と教会のメンバーが「娼婦と交わ」っていました。コリントの教会はギリシア文化の中にあり、霊肉二元論で考える人が教会の中にもいたようです。その文化では、魂は尊いと見なされ、体は卑しいと考えられていました。彼らは、不品行は体だけの行為であって、魂には影響はないと切り離して考えました。これでは欲望が止められません。

みだらな行いは「体に対して罪を犯」す(18節)とは、その人の中心まで罪の影響が及ぶことを意味します。この罪はキリストと信仰者との交わりを壊す深刻なものです。

パウロは二つのことを命じます。まず誘惑を避けてみだらなことから「逃げる」(18節・直訳)ようにということです。積極的には「自分の体で神の栄光を現しなさい」とも命じます(20節)。体も含む人間全体を神は良いものとして創造されました。さらにこの体をキリストが十字架の犠牲で贖ってくださいました。わたしの体の主人がキリストに代わったのです。

【祈り】

神よ、わたしの体も心もあなたのものです。誘惑の声ではなく、あなたの声に従えますように

西堀 元(北神戸キリスト伝道所)