裁きを恐れ栄光の神を仰ぐ | イザヤ書 24章

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イザヤ書 24章

月は辱められ、太陽は恥じる
万軍の主がシオンの山、エルサレムで王となり
長老たちの前に、主の栄光が現されるとき。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 イザヤ書 24章23節

裁きを恐れ栄光の神を仰ぐ

イザヤはユダの民に、厳しい神の裁きの預言を語ります。

きょうの箇所で繰り返し語られるのは、地上の荒廃です。民も祭司も、僕も主人も同じ運命と言われ(2節)、地上の高貴な民が弱り(4節)、地上の喜びや楽しみは取り去られると言われます。まるでこの世の終わりの光景が示されているかのようです。

イザヤによれば、その原因はあくまでも地上に住む人間にあります。彼らが地を汚し、律法を犯し、神との契約を棄てたからです(5節)。

このイザヤの預言は、当時のユダの民の現実を超えた内容に思えます。神がないがしろにされ、地が汚され、神との契約が棄てられたような今の世にも語られていて、終わりの日についての警告と言えます。

月や太陽といった天体までがその日に恥じると言われる時に、私たちは神の激しい罰に震えおののくほかはありません。しかし、その日、「万軍の主がシオンの山、エルサレムで王となり」と言われるのです。地の荒廃の中で、ただこの方の栄光が輝くと言われます。

神の御心は、きょうこの日、私たちがそれぞれ置かれた場所で、この神を仰ぐことにあります。この方が私たちにとっての唯一の光であり、魂の喜びなのです。

【祈り】

あなたの裁きの時を恐れつつ、唯一の光である栄光の主を、きょうわたしに仰がせてください。

宮﨑 契一(那覇伝道所)