リジョイス聖書日課 2018年1月

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2018年1月の聖書日課

ヨハネ 1章

言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。…わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。 ヨハネによる福音書 1章14節~16節

言が肉となった

初日の出を拝むため山に登る人がいます。太陽は大きな存在(地球の約130万倍!)だからでしょう。しかし、それを造られたのは神です。その神が人となって来られたのは驚嘆畏怖する出来事です。 神が人となって来ら…

創世記 1章

初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。
「光あれ。」
こうして、光があった。神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。 創世記 1章1節~5節

夕べがあり、朝があった

神は最初の光を創造されて、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれました。そのあと、この命の光がしみとおっていくようにして、世界の基が整えられていきます。そして、「夕べがあり、朝があった」と六度繰り返され、最後…

創世記 2章

神が用意してくださったもの 創世記 2章16節~17節

神が用意してくださったもの

人は神によって、土の塵から造られました。それゆえ人間は、決して神と同じではありません。土の塵にすぎないものであって、高ぶってはならないのです。しかし人はまた、被造物の中で唯一、神のかたちとして造られ…

創世記 3章

蛇は女に言った。
「決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」
女が見ると、その木は…賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。 創世記 3章4節~6節

神を信じ切れない弱さ

エデンの園で、人は何不自由なく、何の疑いもなく、神の愛に包まれて暮らしていました。自由な愛において、純朴に神を信頼し、神との約束を大切にして生きていました。 しかし、そういう「神と共に生きる人」を皮肉…

創世記 4-5章

再び、アダムは妻を知った。彼女は男の子を産み、セトと名付けた。カインがアベルを殺したので、神が彼に代わる子を授け(シャト)られたからである。
セトにも男の子が生まれた。彼はその子をエノシュと名付けた。主の御名を呼び始めたのは、この時代のことである。 創世記 4章25節~26節

人類の試練と希望

兄カインが弟アベルを殺すという人類最初の殺人は、親であるアダムとエバの深い悲しみとなり、人間が味わう大きな試練となりました。アベルは失われ、カインも「さすらう者」となって失われました。広がっていくは…

創世記 6章

これはノアの物語である。その世代の中で、ノアは神に従う無垢な人であった。ノアは神と共に歩んだ。 創世記 6章9節

神に従う無垢な人

「神に従う無垢な人」とは非のうちどころのない高潔な義人というよりも、神に命じられるがまま、不器用なまでに従順に生きる人という感じではないでしょうか。 ノアはほとんど話しませんでした。ですから、彼がどん…

エフェソ 3章

神は、その力を働かせてわたしに恵みを賜り、この福音に仕える者としてくださいました。この恵みは、聖なる者たちすべての中で最もつまらない者であるわたしに与えられました。わたしは、この恵みにより、キリストの計り知れない富について、異邦人に福音を告げ知らせており、 エフェソの信徒への手紙 3章7節~8節

キリストの豊かさ

パウロは、「伝道者」としての働きが自らの使命であることに揺らぐことのない確信を持っていました。それは、自分の能力や才能に自信があったからではありません。むしろ、誰よりもその資格がないことを十分に心得…

創世記 7章

地上で動いていた肉なるものはすべて、…ことごとく息絶えた。乾いた地のすべてのもののうち、その鼻に命の息と霊のあるものはことごとく死んだ。地の面にいた生き物はすべて、…ぬぐい去られ、ノアと、彼と共に箱舟にいたものだけが残った。 創世記 7章21節~23節

新しい創造のための滅び

洪水が始まりました。「この日、大いなる深淵の源がことごとく裂け、天の窓が開かれた」(11節)。天地創造の際に、光の創造にはじまる神の御手の業によって、「深淵=混沌の海」が制御されました。しかし、それが裂…

創世記 8章

主は宥めの香りをかいで、御心に言われた。
「人に対して大地を呪うことは二度とすまい。人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。わたしは、この度したように生き物をことごとく打つことは、二度とすまい。」 創世記 8章21節

二度とすまい

「ノアは主のために祭壇を築いた」(20節)。箱舟から出たノアが最初にしたことは神礼拝でした。そのノアの姿に、あるべき創造世界が象徴されています。それは人が正しく神を礼拝して生きる世界です。人間は神を礼…

創世記 9-10章

「雲の中に虹が現れると、わたしはそれを見て、神と地上のすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた永遠の契約に心を留める。」 創世記 9章16節

虹の契約

大洪水の後、神は契約を立て、その契約のしるしとして虹を見せてくださいました。ここでは、契約を「結ぶ」ではなく「立てる」と言われ、神の側からの約束の確かさが際立って示されています。この被造世界をどう扱…

創世記 11章

主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた。こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである。 創世記 11章8節~9節

分断を越えるために

互いに理解しあえないという悲しみ…。たとえ同じ言葉を使っていても、バラバラな主義・主張がぶつかるばかりで、話が通じない。この21世紀という時代は、そういう「分断」の悲しさを、ことのほか強く思わされます。…

マルコ 1章

イエスは40日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。 マルコによる福音書 1章13節

野獣と一緒におられた主

天からの召命の声を聞かれた主イエスは、聖霊によってすぐに荒野へと送り出され、サタンからの誘惑を受けられました。どのような誘惑だったのか。それは「野獣と一緒におられた」という言葉から推察できます。 詩編…

マルコ 2章

「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。だから、人の子は安息日の主でもある。」 マルコによる福音書 2章27節~28節

安息日の主

ファリサイ派の人たちは、安息日規定を細部まで正しく守ることが神の民の義務だと考えていました。やがてその中に誤った意識が入り込み、自分は規定を守っていると自負し、守れていないと思われる人を蔑むようにな…

マタイ 3章

イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。そのとき、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言う声が、天から聞こえた。 マタイによる福音書 3章16節~17節

これはわたしの愛する子

神の御子イエスは罪の無いお方であるにもかかわらず、罪を悔いて洗礼を受ける人びとの中に加わってくださいました。それは、主イエスが罪を持たれないまま、しかし、私たち人間と同じように罪人の一人となられたと…

マルコ 3章

「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」 マルコによる福音書 3章34節~35節

神の御心を行う

最初の人間が創造されたとき、人は神と共に生きる者であり神の家族の一員でした。しかし罪を犯して神の家にいられなくなってしまいました。神はそのような人類を深く憐れんでくださり、再び神の家族として迎え入れ…

マルコ 4章

イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」 マルコによる福音書 4章40節

信仰によって生きる

旧約の族長の一人、ヨセフは、兄たちに売られたエジプトの地で、王の見た夢を解き明かし、宮廷の責任者として、7年の豊作の間に、7年の飢饉に備える働きをしました。そして、飢饉の中でエジプトに穀物を求めに来た…

マルコ 5章

イエスがお許しになったので、汚れた霊どもは出て、豚の中に入った。すると、2千匹ほどの豚の群れが崖を下って湖になだれ込み、湖の中で次々とおぼれ死んだ。 マルコによる福音書 5章13節

汚れた霊からの解放

異邦人の地に、一人の男に取りついてその人を苦しめていた悪霊がいました。「レギオン(大勢)」という名のこの悪霊はこの地にやって来た主イエスを恐れ、豚に乗り移らせてほしいと懇願します。主がそれをお許しに…

マルコ 6章

イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。 マルコによる福音書 6章34節

憐れみ深い飼い主

主イエスは弟子たちに休息が必要だと感じ、共に人里離れた所に行こうとされます。しかし主イエスを見失うまいと一斉に駆けつける人びとがいました。 前の段落には洗礼者ヨハネが領主ヘロデに殺された事件が描かれて…

マルコ 7章

「この方のなさったことはすべて、すばらしい。耳の聞こえない人を聞こえるようにし、口の利けない人を話せるようにしてくださる。」 マルコによる福音書 7章37節

回復を与えてくださる神

主イエスは耳が聞こえず舌の回らない人を癒やされました。それを目撃した人たちは大変驚きました。この癒やしの記事に触れるとき、自分は耳が聞こえるし舌も動くので自分とはあまり関係がないと思われるかもしれま…

マルコ 8章

「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。」 マルコによる福音書 8章35節

神の逆説

この直前に主イエスは「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」と言われています。主に従うのは自分の命を得たいから、と多くの人は考えるのではないでしょうか。し…

ヨハネ 1章

その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。『わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。」 ヨハネによる福音書 1章29節~30節

キリストとの出会い

人びとに悔い改めを説き、洗礼を授けていたヨハネの周りには多くの人が群がり、彼の弟子になる者たちも出てきました。しかし、ヨハネは自らに与えられた「証人」という使命を忘れることはありませんでした。 彼は近…

イザヤ 1章

お前たちのささげる多くのいけにえが
わたしにとって何になろうか、と主は言われる。
雄羊や肥えた獣の脂肪の献げ物に
わたしは飽いた。
雄牛、小羊、雄山羊の血をわたしは喜ばない。 イザヤ書 1章11節

心をご覧になる神

イザヤが活躍していた時期は、アッシリア帝国の興隆期にあたります。紀元前8世紀、アッシリア帝国はシリア、北イスラエルを征服したのを皮切りに、ペリシテ、エジプトを撃破、その勢いのまま南ユダに攻め込み、あと…

イザヤ 2章

主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。
彼らは剣を打ち直して鋤とし
槍を打ち直して鎌とする。
国は国に向かって剣を上げず
もはや戦うことを学ばない。 イザヤ書 2章4節

主がもたらしてくださる平和

2節に言われている「終わりの日に」とは、この世の終わりの日のことを指しています。つまり、それはイザヤの預言の射程が、今のこの時代を超えて、世の終わりの日、はるか未来に及んでいるということです。 イザヤ…

イザヤ 3章

見よ、主なる万軍の神は
支えとなり、頼みとなる者を
また、パンによる支え、水による支えをも
エルサレムとユダから取り去られる。 イザヤ書 3章1節

頼みとしているものを取り去られる神

神は、人々が頼みとしているものを取り去られます。2節以下に、彼らが頼みとしていたものとして、「勇士と戦士」が挙げられています。彼らが軍事力あるいは軍事的な指導者を頼みとしていたことが分かります。続いて…

イザヤ 4章

その日には、イスラエルの生き残った者にとって主の若枝は麗しさとなり、栄光となる。この地の結んだ実は誇りとなり、輝きとなる。そしてシオンの残りの者、エルサレムの残された者は、聖なる者と呼ばれる。 イザヤ書 4章2節~3節

エルサレムの残された者

1節は3章26節の続きで、シオンの娘たちへの裁きが語られています。その日、裁きの日には、豪華な生活をする女たちが頼りにする男たちが戦いに倒れ、数少ない男性に群がる終末的混乱があるというのです。 2節以下で…

イザヤ 5章

イスラエルの家は万軍の主のぶどう畑
主が楽しんで植えられたのはユダの人々。
主は裁き(ミシュパト)を待っておられたのに
見よ、流血(ミスパハ)。
正義(ツェダカ)を待っておられたのに
見よ、叫喚(ツェアカ)。 イザヤ書 5章7節

主にあって実を結ぶ

神は、ユダの人びとを、ぶどう畑にたとえています。神は労を惜しまず、手塩にかけて甘いぶどうが実る良いぶどう畑を夢見つつこれを育てられました。しかし、実際にできたのは酸っぱいぶどうの畑でした(2節)。 礼…

イザヤ 6章

そのとき、わたしは主の御声を聞いた。
「誰を遣わすべきか。
誰が我々に代わって行くだろうか。」
わたしは言った。
「わたしがここにおります。
わたしを遣わしてください。」 イザヤ書 6章8節

イザヤの召命

6章には、イザヤが預言者に召されたときのことが記されています。それは、ウジヤ王が死んだ年のことでした。主なる神がご自身の姿をイザヤの前に現されました。これは、出エジプト記19章18節と同様であることを示し…

マタイ 4章

「ゼブルンの地とナフタリの地、
湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、
異邦人のガリラヤ、
暗闇に住む民は大きな光を見、
死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」 マタイによる福音書 4章15節~16節

暗闇に輝いた大きな光

主イエスが伝道活動を始められたガリラヤは、ユダヤ人と異邦人が雑居し、さまざまな民族の文化が混合していました。そのためにエルサレムのユダヤ人からは嫌われ、宗教的にも軽蔑と憎しみしか受けられない地になっ…

イザヤ 7章

イザヤは言った。
「ダビデの家よ聞け。
あなたたちは

わたしの神にも、もどかしい思いをさせるのか。
それゆえ、わたしの主が御自ら
あなたたちにしるしを与えられる。
見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み
その名をインマヌエルと呼ぶ。」 イザヤ書 7章13節~14節

主が与えてくださる救いのしるし

アラム・エフライム連合軍の攻撃に対して、アハズ王はアッシリアに使いを送り、援軍を頼みました(王下16章5節以下)。アッシリアの王ティグラト・ピレセルは、アハズの頼みを受けてアラムの都ダマスコに攻め上って…

イザヤ 8章

あなたたちはこの民が同盟と呼ぶものを
何一つ同盟と呼んではならない。
彼らが恐れるものを、恐れてはならない。

万軍の主をのみ、聖なる方とせよ。
あなたたちが畏るべき方は主。
御前におののくべき方は主。 イザヤ書 8章12節~13節

神を畏れ、神に従う

アッシリアと同盟を結ぶと語る王に、イザヤはそれは降伏以外の何物でもないと警告を発してきました。人びとにも繰り返し繰り返し、神を畏れ、神を信頼するようにと説いてきました。 けれども、功を奏しません。それ…

イザヤ 9章

ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。
ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。
権威が彼の肩にある。
その名は、「驚くべき指導者、力ある神永遠の父、平和の君」と唱えられる。 イザヤ書 9章5節

わたしたちのために生まれた主

アハズからヒゼキヤに王位が引き継がれました(王下18、19章)。ヒゼキヤは、ダビデのように主の目にかなう正しいことをことごとく行い、イスラエルの神、主を固く信頼し、その戒めを守りました。アッシリアがユダ…